「坂東市将門まつり」の舞台
平将門の娘が父を祀った神社
茨城県西部にあり、利根川を挟んで千葉県野田市と隣接する坂東市。その中央に位置する岩井地区から、結城街道を沓掛(くつかけ)に向かう左側にあるのが「國王神社」です。
凛とした空気漂う境内
杉木立におおわれた、古風な木造両部鳥居をくぐり、参道を進むと、その奥まったところに茅葺き屋根の社殿が見えてきます。
境内に入ると、常緑樹の木々が立ち並び、その先には、入母屋(いりもや)造りの拝殿、幣殿、本殿からなる社殿が見えてきます。凛とした空気が漂い、清々しい気持ちで歩けます。
夏は境内の木々が涼やかな雰囲気を作り出し、歩いてみると真夏の暑さを忘れられるひとときを過ごせます。また、冬でも落葉しない常緑樹に囲まれた境内を歩けば、自然の力強さをより一層感じられることでしょう。
拝殿の「入母屋造り」とは、古くから日本の住居や寺院などの建築で用いられてきた、東アジアの伝統的な屋根形式の1つで、最も格式が高い形式と言われています。奈良の「法隆寺」の金堂もこの形式で建てられています。
神社の由緒と歴史を学ぶ
神社の祭神は、平将門命です。
平将門公は、平安時代に活躍した関東の豪族としてよく知られています。現在の千葉県北部から茨城県にかけて勢力を伸ばし、現在の坂東市に政庁を置きました。その後、朝廷側から討伐されました。
「國王神社縁起(こくおうじんじゃえんぎ)」及び「元享釈書(げんこうしゃくしょ)」によると、将門公最後の合戦の時、将門公の三女は奥州の「恵日寺」に逃れ、出家して如蔵尼(にょぞに)と名乗ったとあります。将門公の死後33年目に郷里に戻り、坂東市のこの地で過ごしていました。
その際に、森の中から霊木を見つけ、深く敬い、慎みを込めて、父将門公の像を刻み、小祠を建てて安置し、将門大明神と名付けて祀られました。
県の重要文化財にも指定されている御神体の像
御神体の像は、寄木造座像で高さ2尺8寸(約85cm)の衣冠束帯(いかんそくたい)姿で、右手に笏(しゃく)を持っています。像の表情を見ると、目は吊り上がり、口は八の字に結び、怒りの形相を表わし、武人の気迫が全身にみなぎっている印象を受けます。
彫刻で注目されるのは、本殿向拝に用いる蟇股(かえるまた)のつなぎ馬です。江戸期の将門芝居につなぎ馬の紋所が描かれるのは、この彫刻に由来するようです。
将門公の軍の最大の武器は馬と鉄といわれ、騎馬合戦を最も得意としていました。しかし、乱が終わると、将門公は「平和な時世には騎馬は不用」と馬をつなぎ置き、再び合戦に用いない証明として、つなぎ馬の紋所を彫らせたと伝えられています。
なお、社殿と将門公座像は、県の重要文化財に指定されています。
市を代表する祭り「坂東市将門まつり」の舞台にも
毎年11月の第2日曜日に開催される、坂東市を代表するお祭り「坂東市将門まつり」は、國王神社での戦勝祈願で始まります。また、杉木立に囲まれた境内を、総勢100人の武者が参詣する様子は圧巻です。
スポット基本情報
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スポット名 | 國王神社 |
ふりがな | こくおうじんじゃ |
住所 | 茨城県坂東市岩井948 |
アクセス | 圏央道坂東ICより車で7分 |
駐車場 | 駐車場あり |